余命告知訴訟 について
引用元
http://www3.nhk.or.jp/lnews/oita/20181026/5070002312.html
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乳がんで亡くなった大分市の女性の遺族が、余命を知らされなかったため、最期に充実した時間を過ごせなかったなどとして、病院を運営する大分市医師会と主治医に損害賠償を求めた裁判が26日始まり、医師会側は争う姿勢を示しました。
裁判を起こしているのは、乳がんが原因で57歳で亡くなった大分市の女性の夫と、3人の子どもです。
訴状によりますと、当時、女性は、がんの治療のため、大分市医師会が運営するアルメイダ病院に通院していましたが、ことし1月に容体が急変して亡くなりました。
その後、遺族が主治医らに経過を問いただしたところ、亡くなる9日前に診察した時点で余命を1か月と判断したのに、本人や家族に知らせていなかったことが分かりました。
理由について、主治医らは「本人が治療を望み、効果を期待している状況では余命を告知することはないし、その義務もない」と説明したということです。
このため夫らは、少なくとも家族には余命を知らせるべきだったのに教えてもらえず、最期に充実した時間を過ごせなかったなどとして、医師会と主治医に対し、およそ3200万円の損害賠償を求めています。
26日、大分地方裁判所で始まった裁判で、医師会側は「主治医の対応は十分だった」などとして訴えを退けるよう求め、争う姿勢を示しました。
10/26 13:50
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なかなか興味深い事件です。
原告代理人がどのような法的構成を取っているのか非常に気になるところ。
ここからは文献など何も調べていない今の状態での私の率直な感想。
まず、余命宣告というのが法的にどういう性格のものかを考えないといけない。
余命宣告が、医学的な診断(※)の一部だというのであれば、(余命宣告というものが絶対的なものではないことを承知した上で)その告知義務は確かにありそうです。
しかし、医師個人がする補足的な意見であるとすれば、かなり主観的なもので、そのような意見を伝えるか伝えないかは原則として医師の裁量だと思われます。
実際術後生存率のような統計的なデータでも無いようですし、人の死期をどれほどの確度で言い当てることができるのか相当に疑わしいので、かなり主観的なものではないのでしょうか。
インフォームドコンセントの観点から考えるととどうでしょうか。
インフォームドコンセントとは『医師が患者に対して、医療行為を開始する前に、十分な情報を与えた上で、同意を得ること』と定義できると思います。
わが国では初期の判例として(東京地判昭和46年5月19日)があり、現在では十分に浸透した概念でしょう。
「十分な情報」の内容については、具体的な『医療行為』毎に異るので個別的に判断しなければならないと考えられています。
そういうことであれば、具体的な『医療行為』が読み取れない以上、ここでは判断はできないということになります。
ただ、余命というのがかなり主観的な意見だとするのであれば、患者の意思決定に際し、その情報が必要だというケースはあまり考えられないとはいえそうです。
むしろ、余命を1か月と判断した前提となる事実について、どのようなものがあり、それを開示すべきだったかどうかが問題になりそうですね。
重要判例
最高裁平成7年4月25日判決
「がん告知をしなかったことにつき説明義務を否定した例」
最高裁平成12年2月29日判決
「エホバの証人の輸血拒否事件」
最高裁平成13年11月27日判決
「乳がん手術にあたり、平成3年当時未確立の乳房温存療法についても医師の説明義務を認めた例」
さて、最後にこの事件で奇妙なところは
>遺族が主治医らに経過を問いただしたところ、亡くなる9日前に診察した時点で余命>を1か月と判断したのに、本人や家族に知らせていなかった
なぜわざわざ医師は余命の判断をしたと後になって遺族に告げたのかということ。
これは藪蛇ですよね。
もし、余命宣告が義務的でないと考えるのであれば、言わなくてもいことを言ってしまったケースかもしれませんね。
余談
アルメイダ病院のアルメイダって、宣教師のルイス・デ・アルメイダのことなんでしょうか。調べてみたら、アルメイダさんは医師だったみたいですね。
何か所縁があるのでしょうか。
私は信長の野望では随分とお世話になりました。
(※)『診断』という用語ですが、厳密に医学的な意味で使ってるわけではないです。『診断』とは、どういう意味なのかを調べると案外奥が深くてよく分からなくなります。